済州島の女だから・・・

悲しみ韓国生活

みなさんこんにちは、ななこです。

今日は以前住んでいた義実家の向かいの家のことを書こうと思います。

 

向かいのおばさんのことをたまに思い出してしまいます。

 

義実家向かいの家は連れ込み旅館

7年ほど前まで私は義実家に住んでいました。

周辺は飲み屋や連れ込み旅館が多く、とても治安は良いとは言えないところでした。

 

常に道端には焼酎の割れた瓶。

朝には傷だらけの酔っ払いがその辺で寝ていることも。

 

義実家の隣はムダン、日本で言うイタコで夕方になるとよく太鼓の音が鳴っていました。

向かいの家は連れ込み旅館で、同じ4階建て。

たまに洗濯物を干す時に屋上で隣のおばさんと顔を合わせると、よく育ったミニトマトなんかを投げてくれました。

ミニトマト

向かいの家の変態兄さん

向かいの家には、おじさん夫婦と息子が一人いました。

いつも自分で裾を山型にカットしたようなTシャツを着て町内を徘徊し、コンビニの前に立っては

”1000ウォンくださ〜い”

とタバコを買うために、道ゆく人に声をかけていました。

 

聞けば私と同じ年!

 

私はその人が家の鍵を開ける時に背後に立たれるのが嫌だったし、例のコンビニの中でベタ〜っと腕を触られ、

”何しとんじゃコラァ!!”

と日本語で怒鳴ったこともありました。

変態兄さんが変態になった理由

変態兄さんははっきり言って変態です。

そのままですが、変態です。

 

でも、おかしくなった理由を聞くと胸が締め付けられます。

 

3ヶ月の赤ちゃんの時に泣き止まず、うるさいからと

実の父親に投げられたそうです。

その時頭を打ったとか。。

 

でもお勉強だけはできて、学校の成績はよかったそうです。

向かいのおじさん

子供をそんな目に合わせておいて

向かいのおじさんは何をしているのかと言えば、

町内を自転車で徘徊するのみ。

いや、見た感じですがね。

それでも多分生活のほとんどがそれのよう。

連れ込み旅館はほとんどおばさんが見ている感じでした。

自転車

向かいのおばさん

向かいのおばさんを外で見かける時はいつもしゃがんで

段ボールを集めていました。

集めて持って行けば少しですがお金になります。

 

おばさんは後妻だそうです。

 

はるばる済州島から来て

子供を産めば投げられ

後遺症の残った子供のために常に働いていました。

 

どうやったって自分が先に死ぬから、

残してあげられるものは残してあげたいというのもあるようです。

 

一人息子である変態兄さんが、近所の女の人を触って歩くのも知っています。

性犯罪だけは起こさせないようにと、お金を渡していたようです。

 

町内の人はおばさんのことを

”やっぱり済州島の女の人だね”と言います。

 

済州島の女の人はよく働くのだそうです。

 

5年前くらいに向かいの家から町内のどこかに引っ越したことは聞いたし、それから段ボールを集めているところまでは見かけたことがあります。

段ボール

 

それからしばらく見ない日が続き、

おばさんが具合が悪いことを聞きました。

 

それが最後の消息ですが、大変な中いつも笑顔だったおばさん。

私が妊娠中、辞書を引きながら一生懸命つけた息子の名前をとても褒めてくれたことをよく思い出します。

子供の名前を義兄にけなされすぎた時に、おばさんが褒めてくれたことは私の大きな心の支えでした。

今はお目にかかれませんが、おばさんのことを思い出すたびに「元気でいらっしゃればな」と思います。

 


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プロフィール
ななこ

 2009年結婚し韓国に移住。
 義実家での同居、集団モラハラ、経済的DVの中2011年なんとか出産。
 育児妨害のため2013年日本へ帰国。
 
 2015年義実家との同居を解消し、もう一度韓国へ。
 経済的DVはなくなったものの、夫からのモラハラにより鬱に。
 2年程ほとんど寝たきりに。

 町内の人々の助けもあり、見事復活!

 2019年から夫とも別居し、生活費を貰いつつ小学生の子供とのんびり気ままにニート生活を送ってます。

 韓国での日常、行ってみたカフェなんかも紹介しています。

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